もうひとつの履歴書2「少林寺拳法から学んだこと」
九州という育った地方の気風もあるのだろう。加えて時代の気分みたいなものがあったようにも思う。
とにかく少年時代はよく喧嘩をした。
男は喧嘩が強くなければという土地柄である。父親に似ず身体が小さかった私は、それこそ向こう意気の強さだけが売り物だった。
大学に入ってから少林寺拳法をやったのも、体力をなんとか技術でカバーしようとの魂胆からであったように思う。
高校時代からの親友で早稲田大学のラグビー部のフォワードをやっていたH君がいる。
高校時代はラグビー部のキャプテンで我が高校の番長でもあった。
少林寺拳法を始めてからは彼が下宿に遊びに来るたびに稽古台になってもらった。
体格もよく力も強い。自分の技を試すには格好の相手だった。
ある日、胸ぐらを掴ませておいて技をかけた。いつもは腕力で抵抗する彼がストンと膝元にかがみ込んだ。
思わずいったセリフが、乱暴はよせ、だった。
以後頼んでも稽古相手を断られるようになった。これは自信になった。
喧嘩の技術はさておいて、少林寺拳法の基本である禅や仏教思想に、だんだんと惹かれるようになっていった。我が青春時代の人間形成は少林寺の教えによって大きく影響を受けた。当時は創始者である宋道臣師がまだ健在で、少林寺拳法といえば武道というより禅や仏教の教えという色彩が強かった時代でもある。
「力愛不二」という教えがある。
愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である、とでも訳せるだろうか。
レイモンド・チャンドラーの、「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きている意味がない」というフレーズを連想する人もいるだろう。
少林寺拳法を喧嘩に使ったことはないが、使いそうになったことは何回かある。
大学時代、私の妹はアルバイトでテレビの歌番組の司会みたいなことをやっていた。
帰りが夜になるというので、駅まで迎えに行く。暗い夜道でアベックにまちがえられて因縁をつけられたことがあった。
社会人になってからも、女性と青山の絵画館あたりを歩いていて木刀を持った男二人に脅されたことがある。いずれも引くに引けないシチュエーションだ。
幸いにも構えを取っただけで相手が戦意をなくして事なきを得た。
「己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ。よくととのえし己こそ、まこと得がたきよるべなり」
結局、頼りになるのは自分である。だから自分を鍛えるのだ。
私の、中野の四畳半の下宿の壁には、この言葉が掲げてあった。
近年九州に帰省した折に、親友のH君と食事をする機会があった。
彼は私の下宿に来るうちに、いつの間にかこの言葉を暗記してしまったという。
社会人なってからもことあるごとにこの言葉を思い出したという。
今や彼も、大手ゼネコンの支社長さんである。
中国の思想といえば、
道教の仙人の修行には「山・医・卜・相・占」の五科目があると聞く。
「山」にこもって武芸をみがく。「医」道に精通する。「卜・相。占」は占いの種類だ。
若い頃は少林寺拳法をやった。そして、東洋思想に引かれるようになった。
中年になって四柱推命の勉強を始めたりもした。陰陽五行説なるものに出会った。
そして、陰陽五行説をベースとする東洋医学へと行き着いた。
もちろん、道教の仙人たちとはスケールが違うのは承知の上だが、
こうして鍼灸の道を選んでいるのもなにか自然の流れのような気がしてくる。